NO.0011 2004.01.01発行

《 ワークショップから・・・ 》

新年おめでとう御座います。

庄田武之です。

何時も思う事ですが、たぶんほとんどの大人にとって同じ事でしょうが子供の頃、お正月がどうしてあれほど待ち遠しく楽しみだったのか良く解らなくなってしまいました。
誰かの歌の詩に「子供らの明日は未来で、私たちの明日はただの別の日で」と言うのがありましたが、そういう事であったらがっかりです。

新しい年に変わって、何か新しい出来事が起こり、起こる事で自分が成長していくであろう事を期待できなくなったのでしょうか。

とはいっても、子供の頃のお正月の楽しみと言えば普段なかなか会うことが出来ない従兄弟達と会って遊べる事だったり、お年玉が貰える事だったり少しばかりはめを外しても、まあまあお正月だからと言って許されたりそんな解り切った事だった様な気がします。

いくら私のような聡明な子供であっても、「ああ、今年は一体どんな新しい事が待ち構えているのだろう、胸が高鳴るな」等とは決して考えもしませんでした。

物を作るという事を生業としていると、あるイメージを抱いてからそれを作品として表現していく事の連続した流れを味わう事になります。
クラッシック音楽が、一つのフレーズのあらゆる可能性を引き出し膨らませ変化させながら、大きな流れを作ってゆく様にそれぞれの作品は独立していながら、関連し合い意味をもっています。
ですから新しい作品は、新しいものである必要と同時に元々抱いていたイメージを重複するものである必要もあります。

ここのところが少なからず難しい所で、常に元に立ち返ってみると同時に何か変化したものである必要性を常に感じつづける訳です。 しかもその変化は、捻じ曲げられたものでなく自然の流れの中のもので無くてはなりません。

ですから、ドンドン難しくなってゆきます。
初めに作ったものを、全く違えずにもう一度作ってみたりするのはその為です。

つまり、難しいのは変化させる事ではなく、変化させてみようとすると出来上がったものが経験によって、作る前に見えてしまう様に 思える 事なのです。

しかし残念ながら私の経験など大したものではなく、見えてしまうと思う事自体思い上がりも甚だしいと言わざるを得ません。

新年を迎えて、やはり改まった気分になり、初めから自分の持って来たイメージを見つめ直すことで、無限の可能性を信じるべきなのだと思います。
もしかしたら今年こそ究極の作品が生まれる年なのかも知れないのです!
もっとも、どの作品もそう思って作ってきましたけど・・・

良いも悪いも、あらゆる刺激を甘受する事。 
こう考えると、お正月も結構良いもんだと思えます。 年を重ねるごとに、この事を忘れて行かなければ良いと念じざるを得ません。 今年こそ、という事ではなく今年も、そしてその翌年も・・・と言う事なのでしょう。

と言う訳で、今年も宜しくお願いします。