NO.0007 2003.09.03発行

《 ワークショップから・・・ 》
庄田武之です。

前回は、一度お休みを頂いてしまいました。 短い夏も終わり(?)なんだかわけが分からないうちに秋になってしまいましたが、皆様如何お過ごしですか?

この年齢になってくると夏休みの時期と言うよりは、やはりお盆を過ごすという感覚のほうが強くなります。 特に社会的にも今の時期は殺伐としていて毎日テレビのニュースを見るのがためらわれるほど暗い問題が多く、落ち込んだ気分になってしまいました。

お客様が作品を購入される時や、注文をお受けする時、又はその後になってその動機が悲しみから気をそらせる為のものだったと解る事が稀にあります。
初めの頃は、自分の中でこれをどのように解釈したらよいのか戸惑いましたが、かなり以前に自分なりの考えをまとめてみました。

誤解を恐れずに書き出してみると、次のような事になります。

悲しみと言うものは、我々の周りに常に余りにも大きく存在し、それはまるで海の如くなので誰もが皆その中に首までどっぷり浸かっている状態を続けているものなのでしょう。
だから、チョットやソットの悲しみが増えたところで、海にバケツの水を注ぐようなものでそのかさが増える事は無いのですが、水を(悲しみを)注いだ波に押されてしまいバランスを崩してしまう事がときに起こります。
首までどっぷりの状態ですから溺れそうになり、もがいてしまう訳です。
困った事に首から上を出している時には自分の状態をすっかり忘れているものですから何が起こったのかすぐには理解できず、その悲しみの大きさだけに囚われてしまいなおなお、もがくのですが少したつとバランスを取り戻す事の必要に気づきます。

こういう時我々は、その為に出来る事をいろいろ試してみる事になります。
何かを見に行ったり、買ったり、遊んでみたり、様々です。

ですから、もしもバランスを取り戻すためのホンの僅かな手助けになるのであれば私の仕事もまんざら捨てたものでは無いなと本気で思っています。

「物より思い出」と言うキャッチコピーを物欲の塊のような車のコマーシャルに使われても反論するつもりはありませんが、しかし、物も思い出になるのです。
物は、それだけである種の力を持っていると感じるからですが、その力をそのままあるいは(出来れば)増幅して見せるのが、私の仕事だと考えています。

そんな訳で、今日もワークショップにこもって仕事を続けております。